【山本KID徳郁】神の子と言われた総合格闘家…それに加えて刺青が半端ねェ!

山本KID徳郁
山本KID徳郁

格闘技の隆盛

山本KID徳郁さん、通称「KID」は格闘技界にて『神の子』と称えられてきた格闘家です。

筆者は高校生の頃は、数学のテストを6点しか取ったことがなく、周囲にはいつも見栄を張って嘘を付き「9点やった」と言ってました。高校2年生のときは留年しそうになりました。当然のように8浪で大学にいきました。ご察しの通り、ヤンキーでした。不良でした。

そのため、喧嘩に明け暮れる毎日を過ごしており、格闘技にも精通しておりました。どうすれば自分の肉体を駆使して、相手の肉体を破壊することができるか、それだけを考えて生きていました。そんな私ですが、格闘技界については実はあまり詳しくありませんでした。

ちょうど当時は、K-1とかPRIDEとかが盛り上がっていた頃で、周りのみんなが「魔裟斗まじ強ェ」とか「須藤元気まじきんも笑」とか、あとはヒョードルとかブアカーオとか言ってはしゃいでました。私はみんなの話についていけませんでした。寂しかったです。

その中でも、ひときわ注目され騒がれていたのが、『神の子』と称されていた、God’s Kidの山本KID徳郁です。そう、私は周囲の話題に付いていけない寂しさを紛らわすために、山本KID徳郁と喧嘩をすることにしたのです。もちろんイメージトレーニングベースで。その頃は、イメージの中で毎日、KIDと闘っていました。勝敗的にはいつもギリギリで私が勝つという結果でした。

気が付いたら、私は格闘技界隈の話題になれば「KIDやろ」「KIDっしょ?」と山本KIDの名前さえ出していれば問題ないという思考になっていました楽しかったです。

山本KID徳郁とは

山本“KID”徳郁(やまもと“キッド”のりふみ)さんは、1977年3月15日生まれ、2018年9月18日に41歳という若さで他界してしまった、最強の総合格闘家です。出身は神奈川県川崎市。桐蔭学園高校中退、アメリカ留学、山梨学院大学中退。「KRAZY BEE」を主宰。HERO’S 2005ミドル級世界王者です。本名は山本徳郁さん、戸籍名は岡部徳郁さん。ニックネームが「KID」「神の子」です。

山本KID徳郁のベースはレスリングです。家族がレスリング一家です。父親はミュンヘンオリンピックレスリング・グレコローマン日本代表であり、姉の山本美憂さん、妹の山本聖子さんはレスリング世界選手権を制覇しています。姉の山本美憂さんの息子にあたる山本アーセンさんもレスリング選手・総合格闘家です。ちなみに、妹の山本聖子さんはプロ野球選手のダルビッシュ有さんの嫁です。

山本KID徳郁は父親のことをリスペクトしています。自身の愛称である「KID」「神の子」の由来について、「ミュンヘンオリンピックに出場した父は自分の中で神。だから、俺は神の子(KID)」格闘の神様の子どもと本人が語っていたらしいです。

山本KIDは、大学生の頃に母親を亡くしており、そのとき家族は夢や目標を失い落ち込んでいました。KIDは告別式3日後の大学選手権に出場して優勝を果たします。その勇姿を見た妹・山本聖子も世界選手権で優勝します。妹はKIDのことを「どん底にいた家族を救って、いつも盛り上げてくれる凄い存在」と語っていたらしいです。

レスリング一家に育ったので、幼少期から試合に向けた体重調整のために食事節制をしていたことにより、体重が増えにくい体質となってたみたいです。

マーシャルアーティスト

山本KID徳郁さんの格闘家としての経歴は、レスリング→総合格闘技転向・修斗→K-1・HERO’S→レスリング復帰→DREAM→UFCとなっています。詳細はみなさんご存知の通りでしょう。もちろん、私は、DREAMもUFCも何のことか分かっていないです。KIDはジム「KRAZY BEE」を主宰・経営し、自身がプロデュースしてカレー屋「Curry Shower」をやったりしていたみたいです。

唯一、リアルガチTV観戦した試合は、我らが英雄・須藤元気と対戦したやつです。ぶっちゃけ個人的にも「あれでKO??」と思ったのは事実ですが、そういうの含めて鮮明に覚えています。結果はKIDのKO勝ちでしたが、トータル的に興奮しました。

ラルゥー(入れ墨)

気になるラルゥ―(入れ墨)についてです。私は数学は6点しか取ったことなかったですが、英語は30点くらいは取っていました。そのため英語が得意です。発音もバッチリです。タトゥーのことはラルゥーと言います。間違ってもタツーなんて言いません。

山本KIDは、タトゥーマニアでありまして、全身に多くのタトゥーを彫っていました。その量感はハンパなかったです。ラルゥ―の量で言うと、Hi-Standardのギタリストの横山健さんも中々ですが、KIDが上回ります。インターネットニュース『THE PAGE』によるインタビューでは「俺のラルゥーの一つひとつに意味がある」と語っていました。
山本KID徳郁_タトゥー

神の子からもはや神

山本KIDは、2018年9月18日にて多臓器不全で死去(41歳没)しました。2018年5月から本格的な入院を開始したみたいですが、日本・グアム間を車椅子に乗りながらも往復して「ファンのために最後まで復帰を目指していた」という内容が告白されています。(2018年9月19日放送のフジテレビ系「ノンストップ!」放送)

好戦的で強気な発言や自画自賛の多かった山本KIDですが、それを含めて多くのファンに活力を与え楽しませてくれました。これだけの結果を残してきたというのは、才能だけに限らず、周囲の支援・応援、協力があったからだと思います。もちろん実際の性格や人柄は分からないので想像でしかないですが、KIDは仲間を作る力もあったのだと思います。家族とは深い絆・信頼関係があったのは言わずもがなです。

KIDに関するエピソードとしてこんなのがあります。

2012年4月12日の深夜に、都営浅草線五反田駅構内の線路にて、おじいちゃんがホームに転落し額から血を流したまま無意識状態でいました。誰もが何も出来ないでいたところ、そこに偶然居合わせたKIDは真っ先に線路に飛び降りて、おじいちゃんを抱え上げようとしました。なかなか持ち上げられなかったのですが、KIDのその姿を見て、躊躇っていた周囲の人たちも協力して線路に降りて、おじいちゃんの救出をしました。(女性セブン2012年5月3日号)

はっきり言って、「神」でしょう。人の目とかそんなんじゃなく、自分がやる!という行動をして、それで周りに影響を与えていく。
高校生のヤンキーでクソすぎた自分は、本能的で真っ直ぐな山本KIDと脳内で試合をすることで、ヤクザやチンピラ、反社会的勢力にならずに真っ当なネオニートとして生きていくことができました。私にとっても、もはや、神の子ならぬ「神」でした。ありがとうございました。

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※参考文献は、コチラ
※記事内容は固有の感想等も含みます。
※本記事はKOBAYAKAWAが執筆しました!



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