【砂原良徳】映画「ピンポン」楽曲制作も手掛けた、電気グルーヴの一員!

砂原良徳
砂原良徳

映画「ピンポン」にて

私はたしか小学校高学年くらいのときに、映画「ピンポン」を観ました。めっちゃ面白くて感動しました。窪塚洋介(主役のペコ役)さんやARATA(準主役のスマイル役)さんといったナイスな役者さんも素晴らしかったです。そして、劇中で流れるテクノポップでエレクトリックな音楽がカッコ良くて、子どもながらにレイブしておりました

ピンポンのサウンドトラック買っちゃいましたからね。スーパーカーとか電気グルーヴの石野卓球とかが楽曲参加していたのですが、その中に、砂原良徳さんも名を連ねていました。後に少し調べてみたところ、なんと砂原良徳さんは電気グルーヴのメンバーの一人だったということも判明しました。砂原良徳さんも時代の空気と気分をテクノミュージックでグルーヴさせてきた人物だったのです。

砂原良徳とは?人物紹介

砂原良徳(すなはらよしのり)さんは1969年9月13日生まれ、北海道札幌市出身、日本のテクノミュージシャンです。愛称は「まりん」らしいです。1991年から1999年まで電気グルーブのメンバーとして活動していました。ちなみに、愛称の「まりん」は電気グルーヴ加入時にあみだくじで決められたらしいです。

電気グルーヴは1989年に石野卓球ピエール瀧などにより結成(前身母体は人生とかいうキモいバンドで、当時インディーズレーベルで最も勢いがあったナゴムレコード:ケラ主宰に所属していた)されたのですが、結成から2年間くらいはメンバーの入れ替わりが激しかったみたいです。1991年に砂原良徳さんがジョインして3人編成となってからは、安定した人気・活動を続けてきました。電気グルーヴは砂原さんが脱退してからは卓球と瀧の二人で活動してます。そういうことから、砂原さんの存在は電気グルーヴに必要不可欠だったし、代替不可能だったのかなぁと想像できます。

砂原良徳さんの音楽的な出発点は、小学生のときに聴いたYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)。中学生のときにシンセサイザーをやり始めて、YMOのほかクラフトワーク等のテクノポップ・ニューウェイブに強く影響を受けてきたみたいです。1991年(当時22歳)に電気グルーヴにジョインする前から、石野卓球と交流があったみたいなので、若いときからテクノミュージシャンとしての頭角はニョキリと表していたんだと思います。

電気グルーヴに在籍中の1995年くらいから本人名義で本格的なソロ活動も開始しており、ソロでの楽曲クリエイトもしていました。そして、スーパーカーやACOなど他アーティストのプロデュースでも活躍するようになります。リミキサーとしてはYMO、テイ・トウワ、リップスライム、コーネリアス、矢野顕子、フルカワミキ、サカナクションなど多数の作品を手掛けることになります。ちなみに、電気グルーヴを脱退した後も、サポートで参加したり、ピエール瀧のローカルTV番組に出演したりと、電グル脱退後も交流は盛んとのことです。

どんな音楽ですか?

砂原良徳さんのソロデビュー作『CROSSOVER』は、アナログシンセサイザーの使用を制限して、サンプリング主体によるムードミュージック的というかラウンジ路線の作品を発表し、大きな話題を集めたらしいです。その傾向は電気グルーヴ本体の活動にも影響を与えていたみたいです。電グル脱退後に発表したアルバム『LOVEBEAT』は、よりシンプルなエレクトロニック・サウンドに進化したらしいです。

砂原良徳さんのプロデュース業のところで、スーパーカーの名前も挙げたのですが、映画「ピンポン」主題歌であるスーパーカーの『YUMEGIWA LAST BOY』は、砂原良徳のプロデュースです。めっちゃカッコ良いです。
※これLIVEなんで、ガチ音源をGET推奨

「ピンポン」の作中曲で、『No sun』という曲があるのですが、これもめっちゃカッコ良いです。ペコとアクマが試合、スマイルとチャイナが試合、のときのシーンで使われたと思います。

私が小学生ながらにして感じた砂原良徳さんの音楽への評価は、「静寂と昂ぶり」です。鳥肌立つし、モチベ高まる。EDMとか流行ってるけど…そういうんじゃなくて。
砂原良徳が音楽について語ってる記事があるので、興味のある方はこちらもご参照ください。音楽は人を変えられる 砂原良徳インタビュー

裏方アーティストに

砂原良徳さんは、今となってはプロデュースやリミキサーのイメージが強く、裏方的な存在になっていると思います。DJ的なアーティストは裏方というか楽曲提供に回るケース多いですよね。ジャンルは少し違いますが、ナカタヤスタカとかもそうですし。こういう人は「良い曲が作れたら自分はプレーヤーじゃなくても良い」っていう感覚なんでしょうかね?素人目線では、ミュージシャンっていうと表舞台に立ってブイブイいわしたい!っていう人が多そうなイメージですが。あんまり承認欲求が強くないのかもしれませんね。そこがまたカッコ良いですよね。

そう言えば、ピエール瀧の一件では、そのとき石野卓球もかなりピックされてましたが、砂原良徳さんはノータッチでしたね。卓球は色々な意味で暴れてましたが、砂原良徳さんはそのとき何を思っていたのか…「何で愛称まりんやねん」と思っていたのか…その真相は裏方行きですね。ほなねー。

※写真画像の出典はコチラ
※参考文献は、コチラ
※本記事は寄谷太一によって執筆されました!

※記事内容はライターの個人的意見・感想等も含みます。



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