【横山健】音楽性はメロコアだが、DIY精神はMAX!PUNKは生き方!ハイスタ!
PUNKは生き方やねん
横山健さんは「PUNKは生き方」を体現していると思います。音楽性は一旦置いておいて、DIY精神を持って「自分でやる」を実行してきました。
セックス・ピストルズのボーカルであるジョン・ライドンはこんなことを言ってたと、私の友だちが言ってました。
「音楽とかどうでもええねん、PUNKってのは生き方やねん」と。ジョン・ライドンのその後のギャグキャラ&デブキャラも「生き方」の一つなのでしょう。
横山健さんやHi-STANDARDの音楽自体は、ガチのパンク好きからは「パンクじゃねぇ」と言われると思います。そもそも、横山健さんはギター上手いから、その時点でガチパンクではない…。メロコアとか青春パンクとかって、人によっては「ぬるい」と評することがありますが、そんなことよりも、横山健さんは大人たちに支配されるんじゃなく、自分たちで音楽を作り、会社も作って自分たちの手で世の中に発信してきました。それは生き方的にはパンクだと思います。
私が高校生くらいのときに、横山健さんが取材されてる記事が新聞に載っていました。「全部自分でやる。会社の作り方とか知らんかったけど、自分で調べてやってみた」と言っていました。これがDIYかぁと思った記憶があります。
また、横山健さんのサウンドは、青春パンクと言っても峯田和伸さんのGOING STEADYや銀杏BOYZとかの感じとはまた違って、疾走感&マイナーコードの多用&歌詞が英語といった「ハイスタ系」と言われるタイプです。時系列的にも、先にハイスタで、その後ゴイステって感じです。ちなみに、その後に細美武士さんのELLEGARDENとかが流行ってます。
今回は、そんな横山健さんについて、しゃぶり記事化したいと思います。
横山健とは?過去は?
横山健(よこやまけん)さんは、1969年10月1日生まれ、東京都杉並区出身、ロックミュージシャン、ギタリスト、シンガーソングライターです。Hi-STANDARDのギター、BBQ CHICKENSのギター、Ken Yokoyama/ken band(ソロ名義)のボーカル&ギターです。PIZZA OF DEATH RECORDSの代表取締役社長です。身長165cmと小柄です。
横山健のTwitterアカウントは、フォロワー数30.3万人です。
既婚者で2児の父です。2005年9月9日に長男、2009年6月15日に次男を授かっています。両肩から腕にかけてラルゥ―=タトゥー(刺青)をしているのですが、右肩には長男と次男の名前を刻んでいます。
幼少期は野球が好きで、野球チームに所属していました。が、中学校では野球部は坊主ルールがあったため、バレーボール部に入部した。中学生の頃は、特にヘヴィメタルを愛好し、オジー・オズボーンやアイアン・メイデンを聴いていました。時代的にもそれ系はムーブメントだったんだと思います。
高校生になってエレキギターを入手してからは。ギター三昧の日々を送っていました。地元の友だちとバンドを組み、ヘヴィメタルのカバーをやっていました。横山健さんの演奏技術が高いのは、このギターをやり出したときにメタル好きだったからってのもあると思います。
高校生の頃は、スケートボードもやっていました。これも時代的にムーブメントだったんだと思います。これ系はNOFX系とか西海岸のメロコアの文脈とも合致します。
高校生の終盤にパンクを知り、ハマります。聴いていたのは、海外バンドが中心でしたが、最も衝撃を受けたのは国内バンドのTHE BLUE HEARTSだったみたいです。高卒後の進路は、美術系の大学を受験するも失敗したため、浪人します。そのときにアルバイトをしながらバンドを組み、音楽生活を深めていきました。
Hi-STANDARDの活動は?
横山健さんは、1991年(当時22歳)に、Hi-STANDARDを結成、1994年にデビューします。Hi-STANDARDの略称はハイスタ。2000年に活動休止、2011年に活動再開しています。
ハイスタは1990年代後半~2000年代前半に日本でも起こったメロコアのムーブメントを牽引するバンドでした。10-FEETやMONGOL800、SiM、WANIMAなどを始めとした現在のパンクバンドへ影響を与えています。また、ハイスタ主催の野外フェス「AIR JAM」はバンドが野外フェスを主催するきっかけ的存在となり、10-FEETの「京都大作戦」やSiMの「DEAD POP FESTIVAL」などに受け継がれています。
メンバーは、横山健さんがギター担当、難波章浩(なんばあきひろ)さんがボーカル&ベース担当、恒岡章(つねおかあきら)さんがドラム担当の3ピースバンドです。恐らく一番有名な曲は「Stay Gold」です。それと、アニメ「キテレツ大百科」の「はじめてのチュウ」英語版カバーとなる「MY FIRST KISS」も有名です。
ソロ活動などの動きは?
横山健さんは、ハイスタの活動休止後、2004年から「Ken Yokoyama」の名義でソロ活動を開始しています。まぁ、ハイスタで人気基盤を構築しているので、ファーストアルバムからオリコンウィークリーチャート初登場8位でした。ken bandを率いてライブや楽曲制作を行っていきます。
別軸でBBQ CHICKENSというバンドのギターも担当しています。
過去は地上波への出演を避けつつ、番組によってはたまに出演するという感じでした。近年は民放へも積極的に出演をしており、2015年の「ミュージック・ステーション」出演を皮切りにバラエティ番組にも出演しています。
ちなみに、ハイスタの活動休止に関しては、横山健さんのブログベースでは「難波の脱退による活動休止」とされていました。ですが、実際のきっかけは横山健が「休養したい」との申し出たことによるものらしいです。
そこから長い充電期間に入るものの、リハビリのつもりで発足させたソロ活動に本腰を入れたことによって、ボーカル難波との確執が生じたらしいです。こちらの記事に詳細が書かれていますので、ご興味のある方はご参照ください。
【ハイスタ全告白】11年ぶりの再始動 横山健(上)
インディーズでDIY精神
横山健さんは、Hi-STANDARDの活動でメロコアのムーブメントをクリエイトしました。それに加えて、インディーズブームもクリエイトしました。要するに、アンチメジャーです。大手レコード会社のおっさんたちに操られるのではなく、小さくても自分たちの手で音楽活動をしていくというDIY精神をベースにしたものです。
1999年に横山健さんが自ら立ち上げて、社長となったインディーズレーベル「PIZZA OF DEATH RECORDS」はまさにDIY精神の塊だったと言えるでしょう。
PIZZA OF DEATH RECORDSの公式サイト
1980年から1990年に登場したロック系やパンク系のバンドの多くが、以下の流れで「商品」にさせられていたのを横山健が見ていたからです。
地道なライブハウス活動を頑張る→大手レコード会社にスカウトされる→大衆的な商業戦略によってテレビの音楽番組やバラエティー番組に出演させれる→一時的には持ち上げられる→人気=商業価値の低下とともに契約を切られる→解散
このような「バンドブームのバブル時代」の悲惨な経緯を破壊しようと横山健さんは奮闘しました。
ライブハウス展開、CD自主制作、CD手売りなど音楽活動を自主的に自分たちで行うこと、はい、それ、DIY精神。を体現してきたのです。現在のパンク系やエモ系のバンドのライブ会場で普通に見られる、演奏後のバンドマン自らがバンドTシャツやCDを手売りするというアクションは横山健さんの「AIR JAM」世代のバンドたちが始めたことです。DIY精神は受け継がれているのです。
今だとインターネットの存在によって、メジャーとかインディーズとかの議論もあんまり無くなってきました。自分で作った音楽を動画サイトにアップし、SNSで宣伝活動をすることができます。ライブの宣伝もWebベースが主流になっています。また、「ブーム」っていう言葉も死後になりつつあるかもしれません。「人によって好きなものは違う」且つ「マイナーな音楽でも探せば誰でもアクセスできる」ようになっています。一般的にも言われていますが、ダイバーシティとかロングテールの時代です。
楽しい時代になったなぁと思います。
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※参考文献は、コチラ
※記事内容はライター個人の感想等も含む
※本記事は寄谷太一が執筆しました!