【大槻ケンヂ】サブカルのカリスマらしい?バンドブームとかビレバン的な本とか

大槻ケンヂ
大槻ケンヂ

サブカルとの出会い

大槻ケンヂさんは俺らの世代ではそんなに有名じゃなかった。過去の人?俺らよりも上の世代では熱狂的なファンがいたみたいだった。俺も大槻ケンヂさんの存在を認識したのは、友だちの兄ちゃんに本を貸してもらったことだった。だから、「筋肉少女帯」も知らなかったし、俺らの世代は「バンドブーム」も「イカ天」も知らなかった。「ノリ天」(のりノリ天国)はもちろん知っていた。大槻ケンヂさんはキモい本を書く人、インキンにキンカンを塗る人という認識しかなった。

当時の俺はもちろんモテ男でありリア充であった。高校2年生のときは留年しそうになったし、当然のように大学受験は失敗した。結局、8浪して大学にいった未だ就職したことは無く、社会人経験も無い。要するに、今もなおモテ男のリア充である。が、浪人時代はイラ立ちや悲しみ、周囲への妬み・コンプレックスや、SEXがしたいという感情になることが無かったと言えば、嘘になるかもしれない。たまーに、ほんまにたま~にだけそういうルサンチマン的な気持ちになることもあった。

そんなときに、大槻ケンヂさんの本「リンダリンダラバーソール ―いかす!バンドブーム天国」を貸してもらい読んだ。衝撃的に面白かった。そこから、俺はその世代のカルチャーにハマることになった。音楽とか本とか映画とか。ケラリーノ・サンドロヴィッチ主宰の「ナゴムレコード」関連とか、「イカ天」から出てきたバンドとか。

VILLAGE/VANGUARD(ヴィレッジヴァンガード)にもよくイクようになった。マスターベーションもよくするようになった。ただ、ぶっちゃけ、大槻ケンヂさんの作品はB級的なやつも多かった気がする。自分の感覚であるが。「これで世の中に出てこれるのか?」「この人は何で有名になれたんだろうか?」っていう疑問も抱いたりしました。時代的なムーブメントだったのか、実際に才能・光るモノがあったのか。いずれにしても、俺は大槻ケンヂさんをフックにサブカルと出会うことになった

大槻ケンヂとは

大槻ケンヂ(おおつきけんぢ)さんは、1966年2月6日生まれ、東京都中野区出身、ロックミュージシャン・シンガーソングライター・作家・俳優。本名は大槻賢二さん、愛称はオーケン。
東京都立田柄高等学校出身、日本デザイナー学院中退、実質二浪で東京国際大学へ進学、その後中退。父、母、兄の4人家族。兄はTVカメラマンの大槻慎一さん。大槻ケンヂさんのエッセイに両親は度々登場しており、キモおもろくエピソード紹介がされている。

1982年にロックバンド「筋肉少女帯」結成(結成当時は「筋肉少年少女隊」)。インディーズで活動して、1988年にメジャーデビュー。1999年「筋肉少女帯」を脱退し、新バンド「特撮」を結成。2006年には「筋肉少女帯」に復帰し、現在は「特撮」と同時に活動している。そのほか、アニメ「絶望先生」関係による「大槻ケンヂと絶望少女達」、謎バンド「電車」等、多数のユニットや引き語りライブなどの活動を行っている。音楽活動以外に、小説やエッセイ、作詞などの執筆活動もやってる。テレビ・ラジオ・映画出演など多方面で活躍している。小説家としては、「くるぐる使い」「のの子の復讐ジクジク」で2年連続星雲賞を受賞。「グミ・チョコレート・パイン」(この映画にはゴイステの峯田和伸がAV男優役で出演している)等の代表作が映画化されたりしている。

バンド的なアクティブ?

大槻ケンヂさんの主軸活動となる「筋肉少女帯」は、1983年にナゴムレコードからインディーズデビューしている。ナゴムレコードは、ケラリーノ・サンドロヴィッチ(当時はケラ)さんが主宰していた。内田雄一郎さんという「筋肉少女帯」のベース担当であり、大槻ケンヂさんの中学同級生の、高校の先輩がケラであった。このナゴムレコードには、あの電気グルーヴ石野卓球・ピエール瀧・砂原良徳)の前身となる「人生」や、田口トモロヲさんのバンド「ばちかぶり」などが所属していた。

「ばちかぶり」はまじでイカれてたらしく、ライブのときに「炊飯器でご飯を炊き、その炊き上がったご飯・炊飯器の中に脱糞=ウンコをする」というパフォーマンスをしてたらしい。

俺が読んだ大槻ケンヂさんの本の「リンダリンダラバーソール ―いかす!バンドブーム天国」には、バンドブームに乗っかる前のインディー時代の各バンドの奇妙奇天烈なアクティビティが紹介されていた。ウンコパフォーマンスもその一つであったし、ショベルカーでライブハウスに突っ込む、バンドなのに演奏せずに着ぐるみを着て踊り続けるインキンたむしに「キンカン」を塗りつけて衝撃的な痛さの後の爽快感でハイ&中毒者になるなどがあった。

「筋肉少女帯」は、1980年代後半からのバンドブームに乗って1988年にトイズファクトリーからメジャーデビューしている。バンドブームの定義は色々あるらしいが、TBSの深夜番組「平成名物TV」のコーナー「三宅裕司のいかすバンド天国」(通称:イカ天)が火付け役になったと言えるらしい。「イカ天」は対バン形式で審査を行うもので、その審査が厳しいことでも有名だったらしいが、多くの個性的なアマチュア・インディーズバンドが世に出るきっかけになった。「イカ天」の放送期間は1989年2月~1990年12月だったらしいが、終了から翌年の1991年には510組(歴代最高)のバンドがメジャーデビューしたらしい。

バンドブームの代表例としては、BOØWY、レベッカ、TM NETWORK、BUCK-TICK、米米CLUB、プリンセス・プリンセス、爆風スランプ、THE BLUE HEARTS、UNICORN、JUN SKY WALKER(S)、THE BOOMなどである。ヴィジュアル系バンドが多かったのと、一部パンクっぽいのが出てきたみたい。

その他のトピックス

UFOに関してはマニアならしく、一時期は心療内科の医師から「UFO禁止令」を出された程らしい。UFO関連書籍も「100冊以上」読んできたらしく、こだわりが強い。本人はUFOだけにどまらず超常現象全体について「単純に「ある」「ない」だけで考えるのはおもんない」「超常現象に関わった人々の人間ドラマや数奇さが面白い」という持論がある。

AV(アダルトビデオ)に生徒役で出演したことがあるらしい。絡みシーンはない。AV出演したことを宝島に掲載された。1989年6月28日の伊集院光さんの「オールナイトニッポン」にゲスト出演した際に、それが大槻ケンヂ本人であることを告白している。

40代からギターを初めた。それまでは、作曲は鼻歌とイメージをメンバーに聞いてもらってコードに起こしていた。

現在、何故かnoteでブログをやってる。
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Twitterやインスタもあってるみたいなんで、宜しければ見てみてください。

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※本記事はKOBAYAKAWAが執筆しました!



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